解説Vol.4 - どれもが 暖かくて 失いがたい 幾つかの光


正直に申し上げますが、ぼくだって暗闇の中でみみずくんと闘うのは怖いのです。
長いあいだぼくは芸術を愛し、自然とともに生きる平和主義者として生きてきました。
闘うのはぜんぜん好きじゃありません。でもやらなくてはならないことだからやるんです。


指向性をもった波がやってきた。

http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20376453,00.htm

本編丸上げは論外だが、MADの扱いについては深い思慮が必要だ。
(ここで語っているのはアイマスMADのみだけれども。)




文化として間違っていないと確信している、とVol.1にて書きましたが

それが問題を含んでいないかというとそうではないのが現状です。

あくまでも他人の著作権所有物の上に成り立つ二次創作、MADであるからです。


だからといって、アホウドリのようにただ流されつづければいいとは思うことが出来ない。


http://japan.cnet.com/blog/onuka/2007/11/17/entry_25001760/
の記事を引用させていただく。

できればリンク先の記事の文章も読んでいただければ理解しやすいはずです。

奇しくも同じソース元

しかし、日本の著作権法の第一章第一条”目的”の項には、


『この法律は...これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、

 著作権等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与する事を目的とする』


とあります。


つまり、権利、権利と言うけれど、最終の目的は文化の発展なんだよ、と言うわけです。

ここのところが判っていないと、


『何が何でも著作権で最初に作ったやつが権利があるんだ。パロディなんて持っての他だ。』


と言う考え方になる訳で、それは正しくないのです。


前述Vol.1のように、私はアイマスMADは文化だと確信しています。

その文化を潰してしまうようなら、著作権法に問題があると。





以下はひどく個人的な考えですが、

音楽を聞くためにお金を払うって形態は間違ってる。
できるだけ『このアーティストはこれだけよい作品をつくるから投資する』
に近い形にならないと終わる気がする。何もかも。
そこのこじれがいまこの状況を作ってる。

たしかに聞くためにお金を払うというのが一番「楽」であるのかもしれない。
でも芸術品なのに消費社会にそのまま組み込んでどうするよ。

今の状況だと、歌につくPVがいい例だと思う。
『プロモーション』ビデオなのになんで金払ってPV見るような事になってんの?馬鹿なの?死ぬの?
抱き合わせビデオって改名して売ってください。狂ってる。


アイマスMADPVは実際にプロモーションになっちゃってるけど著作権法としては間違ってる。
なんだかね。∩(・ω・)∩


プロモーションになってない、と言われるかもしれない。
ではニコニコ市場におけるPerfumeアルバムの4300枚の売り上げをどう説明すればいいだろう?




権利者は「MADがあるから商品が売れなくなった」と言うだろう。
擁護側は「MADがあるから商品が販促された」と言うだろう。

量ることのできない『もとから売れない分』が計算に含まれる限り不毛なことになるし、
そうなったら今の著作権によって分の悪いMADが作業的に追放されるだけだろう。




ひとつ言えるとしたらこうだろうか

権利者が被害を受けたというなら仕方がないことだ。
しかし確実に売り上げに貢献した分もあるはずだ。
(ソースは自分、ニコマスが無ければ知りもしなかったであろうクラムボンのCDを買っちゃった系。)

それが一方的にスルーされるのはフェアでないはずだ。


フランスのワインに関しての法律のようにしっかり法が整備されれば、
コンテンツとしての未来もあると思う。



偉そうなこといいまくってるけど、
ここでこうして海に向かって叫ぶこと*1が無意味であろうことはわかる
ただのわかってる心算かもしれないが。



きっと本当に必要なのは、



ここが肝心なところです。アイマスMADにはあなたの勇気と正義が必要なんです。

みなさんにやってほしいのは、まっすぐな勇気を分け与えてくれることです。
友だちとして、アイマスMADを心から支えようとしてくれることです。わかっていただけますか?



D




Vol.5へつづく